やぁ、怠惰の堕天使ベルちゃんだよ!
今日は僕の「当たり前」について話していこうと思うんだ。
この「当たり前」っていうのは、僕の人生を形作っているといっても過言じゃないものなんだけど、つまりは「探求心」と「好奇心」のことなんだ。
僕の行動の根っこには、いつだって「なんで?どうして?」があったんだよ。
幼い頃からずっとそうだったし、振り返るとこの気持ちはまったく変わってない。
探求したいことがあれば突き進むし、気になることがあれば飛び込んでいく。
それが僕の生き方なんだ。
子どもの頃から変わらない「探求心」と「好奇心」
中学生のとき、「強くなりたい!」と思って家を飛び出したことがあったんだよね。
強い人たちがどうしてそんなにカッコいいのか、どうしてそんなに強いのか、それが知りたくてたまらなかった。
だから、自分の体と心の限界を試すようなことをやったり、「堕天」なんていう計画を立てて実行したりしてたんだ。
正直、その頃は「探求心」とか「好奇心」とかを意識してたわけじゃないんだ。
ただ「気になる」「知りたい」っていう気持ちに動かされていただけ。
そんなの、当たり前すぎて特に考えもしなかったよ。
でも、その当たり前が実は僕の強みだったんだって、大人になって気づいたんだ。
自分の強みだと思っていたものが実は…
昔の僕は、「体力がある」「メンタルが強い」「スポーツで培った経験を活かすべきだ」って思っていたんだ。
だから、そのイメージを保つために走り続けたり、トレーニングをして弱い自分を見せないように努力したりしてた。
でも、振り返ってみると、それって本当の自分じゃなかったんだよね。
ある日、ふと自分の過去を振り返る機会があって気づいたんだ。
僕が本当に力を発揮していた瞬間って、「探求心」と「好奇心」が働いていたときだったんだって。
「自分の限界」に挑んで気づいたこと
大人になってからも同じだったよ。
自分の限界がどこなのかを知りたくて、体力的にも精神的にもギリギリまで挑戦したことがあったんだ。
でも、その限界を迎えたときに僕が考えたのは、「なんでここで限界が来るんだろう?」とか「どうしたらもう少し頑張れるんだろう?」ってことだった。
ただの「無謀な挑戦」で終わらなかったのは、この探求心のおかげだったんだって、後になって気づいたんだよ。
自分の当たり前を見つけると楽になれる
こうして、自分の「当たり前」に気づいてからは、ものすごく楽になったよ。
「体力に自信のある自分」とか「メンタルの強い自分」みたいなイメージに縛られることがなくなったんだ。
ただ、目の前のことに「なんで?」「どうして?」って興味を持つだけで良い。
それだけで自然体でいられるようになったんだよね。
今思えば、僕にとって「探求心」と「好奇心」は、ただの性格とか習慣じゃなくて、僕自身の核みたいなものなんだ。
それを知ったからこそ、もっと楽に、もっと自分らしく生きられるようになったんだよ。
君の「当たり前」にもヒントがあるかも
君も、自分が「強み」だと思っているものの根っこを掘り下げてみたら、意外な発見があるかもしれないよ。
「当たり前すぎて気づかない」ことが、実は君の最強の武器だったりするんだ。
ぜひ、自分の「当たり前」を探してみてほしい。
それが見つかったら、きっともっと自然体で楽に生きられるようになるはずだよ。
君の中の「探求心」や「好奇心」、それ以外の何かが、君を新しい未来に連れていってくれるかもしれないね。
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